発達凸凹息子との学習や生活あれこれ

小学校5年(高校1年になりました)の発達凸凹の子供とのかかわりで工夫したことや感じたことの記録。子供との関わりも含め。が、母親としてだけでなく、自分の好きなことをしようとか、自分で楽しかったな、面白かったなと日記のような、思うことも書いています。この頃そっちのほうが多いかも(笑)

会うは別れの始めなのだなと胸が締め付けられるような気持ちになってきた

こんばんは ずんだです

この頃、何かが終わってしまうのが、
胸が締め付けられるような気持ちになるというか
昔より辛くなってきた。

先月で、家庭教師の先生のレッスンを終了した。
家庭教師に来ていただいている時、はっきりいって大変だった。

共働きで、平日は特に掃除がなかなかできない
(まあ、元々そこまで奇麗にしているわけではないが)
家庭教師の先生の来る前は、ルンバ(もどき)で掃除をする。
まず、家は子供が脱ぎ散らかした服や物が大量に落ちている。
それを片つけさせる。
あと、家は床にモノがあるので、掃除をしない部屋にモノを移動する。
ルンバをかける。

まあ、定期的に掃除ができるのは良かったが。

家庭教師の先生が来る日は、週二回あり、残業があまりできないので
(まあ、そこまで残業はないのだけど)
残業しないように調整する。

食事は、先生が来る前にしてしまいたいので、
帰ると戦いのようだった。

で、人が来るということは、やっぱり緊張する。

早く終わってほしい。いつまで続く?と、いつも思っていた。
あ〜あと一か月だとか、ちょっとほっとしていた。

実際終わったら、もうこの先生方とも話すことはないのだなと
胸が締め付けられるような気持になった。
(家庭教師センターから、終了後は、連絡は取らないようにと言われている)
いろいろ相談にのってもらったりもした。


職場に私が就職して、もう、うん十年である。
職場に仕出し弁当が入っていて、
たまに頼んだりしていた。
廃業することになったらしい。
コロナになってから、ほんとそういうのをよく聞く。


行っていた店が突然、辞めるとか。

とにかく、この頃そういうのが、ものすごく辛くなってきた。
どうしてこんなに切なくなってきたのか。
年のせいか。

いつまでもあると思うな。というやつだなと。

読んでるブログの人が、突然書かなくなってしまうのもなんだかすごく悲しい時が。

で、ある時はそのありがたさとかに気付かない。
なくなってありがたさに気付くということがある。

それなのに、不満を言ったり、ある時は、ありがたさに気付かないのだよね。

会うは別れの始めとは、そうなんだなと。

今回は、家庭教師の先生のがかなり来たのかも。


まあ、あっという間に元気になると思いますけど。
なんか、胸がこう思い出すと、こう痛むというか、苦しくなるのだよ
(年のせいで心臓がとかじゃないと思う(笑))

 

読んでいただいて、ありがとうございます😊