発達凸凹息子との学習や生活あれこれ

小学校5年(高校1年になりました)の発達凸凹の子供とのかかわりで工夫したことや感じたことの記録。子供との関わりも含め。が、母親としてだけでなく、自分の好きなことをしようとか、自分で楽しかったな、面白かったなと日記のような、思うことも書いています。この頃そっちのほうが多いかも(笑)

家族がいるということ

かなり前の話だが、

年上の同僚の実家のお父さんがなくなったら、

お母さんが

ご飯も作らなくなってしまい、

あまりお風呂にも入っていないようだと。

(彼女も結婚し、家族がいるので、一緒には住んでいなかった)

お父さんが生きているときは甲斐甲斐しくやってたのにと。

張り合いみたいなものがなくなってしまったのかなと。

 

そういえば、家の母も、

父が亡くなってから、

料理を前ほど一生懸命やらなくなった。

食べてくれる人がいなくなって、

張り合いがなくなったのだという。

生きてたときは、

長年連れ添った同居人みたいな感じで、

父が生きてる時も

あんな人だって、いなくなったら寂しい。

なんて言っていたけど。

 

家族がいるということは、

そういう役割を果たしているというのもあるのかと思った。

やはり他の人がいるということで、

規則正しい生活が出来る。

何食べようとか、作ろうかとか、

何時に寝ようとか、

何時に起きようとか。

いつお風呂に入ろうとか。

私は、1人のときはダラダラしがちだった。

1人だと、何時に何してても、

他の人に迷惑かけることが少ない。

 

家族いると、バランスの取れた食事をしようという気持ちになれる。

家族にも食べてほしいし、

健康のためにも、色んな食材を使用する。

 

私は、あまり鶏肉が好きでない。

一人暮らしのときは、

豚肉好きなので、

豚肉ばっかり食べていた記憶で、

たまり鶏肉食べていなかった。

 

家族がいると、

色々な食材を食べたほうがいいとか、

家計的な問題ももちろんあるが、

鶏肉がローテーションに普通に組み込まれている。

 

野菜も、私はこれあんまり好きじゃないけど、

これを使おうとか思ったりもするし。

 

私は、もし、一人になったら、

たぶんご飯がすごく適当になる気がするし、

生活が(今もどうかとは思うけど)

こうダラダラと過ごす気がする。

他の家族がいるから、

保たれているということってあると思う

(まあこれは、その人のタイプにもよるだろうけど)

 

家族と住むということは、

そういう要素もあるのだなと、

ちょっと思ったりした。