発達凸凹息子との学習や生活あれこれ

小学校5年(高校1年になりました)の発達凸凹の子供とのかかわりで工夫したことや感じたことの記録。子供との関わりも含め。が、母親としてだけでなく、自分の好きなことをしようとか、自分で楽しかったな、面白かったなと日記のような、思うことも書いています。この頃そっちのほうが多いかも(笑)

本来の学ぶとは

前も同じようなこと書いたかもしれないけど
らんまん見てると
学びたいということの本質のようなものを考えさせられる

主人公の万太郎は
学校も途中で退学するような子供だったが、

植物が大好きで、
植物に興味を持ったことにより、
それが知りたいという純粋な気持ちから

自然に
文字を学んだり
英語を学んだり、
本を読んだり、

植物のことが純粋に知りたいという気持ちから派生して
そこから色々な知識が広がっていく。
人との和も広がっていく。

こういうのが、真の学ぶということなのだろうと。

 

きっかけは、なんでもいいのだと思う。

万太郎みたいに植物でも、

料理でも、旅行でも。

 

友達と話してて思ったけど

東大にいられれば、
勿論研究の上では優位に立てる。
ただ、
本当の実力(熱意)があれば
真の仲間や理解者を得られるというところ。
東大の友達や高知で知り合った人。
(確かに、東大にいてその環境があれば勿論最高だだが。)
学歴や権威がなくても、
心からやりたい事があって
熱量持って取り組めば道が開けていく
というところに一番ワクワクすると。

学んでいくうえで、
自分だけでどうにかできることもあるけど、
確かに、人との信頼で得られることもあるし、
万太郎が、ドイツ語の得意な友達から助けてもらうこともある。
自分が、その人を助けられることもあるとも思う。
人間関係とか、信頼とかに基づくもの。

自分もそうだが、
その人の学歴とか権威とか、
それで自分自身を卑下したり、
年下とか、自分の勝手な判断で見下すとか、
私もそうなってしまいがちだが、

こう、万太郎は誰に対しても同じなのかなとか。
どんな人にも敬意も持ってるし。
あんなふうにできたらいいと思う。

まあ、そのためには、やっぱり自分がやりたい事をやるということは大事なのかなと。
自分が満たされているというか。
自己肯定感がもてるというか。

あと、自分自身が人を見る目を持つというのは、そうだと思う。
権威や学歴がなくても、
真の、その人自身を見る目。

皆が、あんな感じの世の中になると、
楽しいのだろう。


あと、日本の教育についても考えさせられる。
やはり、やりたいことから広げていけるような環境。
決まったことを、決まったやり方で
学習するという指導方針。
これだとやっぱり、
子供の芽を摘んでしまっているのではないかとか。

自分の子供に接する時もそうなんだけど。

日本の未来って、
子供の教育にもかかっているのではないかなと
思ったりする。
自分のやりたいことを
自ら考えて学んでいく姿勢とか。

やりたいから行動を起こせるとか、
他力でなく、
自力でどうにかするということ。

まだ、ぐるぐるして考えがまとまらないけど。

最後まで、読んでくださった方、
ありがとうございました。