発達凸凹息子との学習や生活あれこれ

小学校5年(高校1年になりました)の発達凸凹の子供とのかかわりで工夫したことや感じたことの記録。子供との関わりも含め。が、母親としてだけでなく、自分の好きなことをしようとか、自分で楽しかったな、面白かったなと日記のような、思うことも書いています。この頃そっちのほうが多いかも(笑)

学ぶとは本来はこういうことなんだなと

ドラマのらんまんみてると、

学ぶとは

本来はこういうことなんだなと思う。

 

そのことに興味を持つ、

知りたい! どうなっているんだろうと思う。

自分の心の動かされるままに

それを調べたり、書いたり

そのための方法を模索する。

自然にいろんな知識が身についていく。

 

やりたいから、

そのための方法を、一生懸命考える。

どうやったら、それが知れるか

できるか考えて方法を探す。

言われなくても、やりたいからやる。

 

まあ、ドラマだからデフォルメされている部分もあるだろう

あと、この主人公もそうだけど、

アインシュタイン的な特性もあるだろうけど

 

確かに東京大学に入るには、

小学校を卒業して、

東京大学に入るための学校に入って

東京大学に行く。

東京大学に行きたいから、

(我慢して←じゃない人もいるだろうが)

そのために頑張る。

 

主人公は、

植物が好きなので、

そのことが知りたくて調べたり

人に聞いたり

本を読んだりしているうちに

絵も描き

自然に英語もできるようになったり

知識が身に付いていった。

ある意味東京大学レベル以上の知識を

身につけてしまっている。

まあ、小学校にも行っていないから

学んでいない教科もあるだろうけど。

 

主人公は

本来、東京大学に行かなくても、

植物のことがわかるところがあれば、

別に東京大学でなくてもいいわけで。

東京大学に、自分の知らない植物の標本や

知っているかもしれない人がいるかもしれないから行くだけで。

 

東京大学にいる人は、

多数が東京大学に入りたいからそのために学ぶわけで。

まあ、植物学を学びたいというのはあるようだが。

対照的に描かれている。

 

なんか、日本の教育に足りないものってこれなのかなと。

まあ、制度上難しいのもあるのだろうけど、

逆になってしまっているのだろうなと

何が目的かわからなくなるというか。

私も子供に対して、そのように接することができないのだが。

で、子供の、本来持っている

知りたい!これがやりたい!

という芽を伸ばせないというか、

摘み取ってしまっている気がする。

 

考えてみたら、さかなクンとかもこんな感じかな。

 

好きこそものの上手なれということなんだろうね。