発達凸凹息子との学習や生活あれこれ

小学校5年(高校1年になりました)の発達凸凹の子供とのかかわりで工夫したことや感じたことの記録。子供との関わりも含め。が、母親としてだけでなく、自分の好きなことをしようとか、自分で楽しかったな、面白かったなと日記のような、思うことも書いています。この頃そっちのほうが多いかも(笑)

コージーコーナーにドキドキした

こんばんは ずんだです

 

今思い出すと、、

中山美穂の色ホワイトブレンドがはやっている頃、

私は都会に出てきた。

あの曲を聞くと、今もあの頃のちょっと肌寒い頃を思い出す。

 

私が田舎から出てきた頃、学生の頃は

新宿のアルタの地下にコージーコーナー?があって、(今もあるのだったっけ?)

田舎モンだからさ〜銀座ってついてるだけで。

(銀座コージーコーナーなんだよね)

あの大きいケーキに(見えた)

とてもドキドキした。

田舎者の私は、

すごく高級品を食べてる気がして

ドキドキした。

こんな大勢、人がいるところって、

本当に経験がなかったので。

 

新宿を歩いていると、

いつも、

田舎者の私は人にぶつかりそうで

上手く歩けなかった。

新宿に行くと

あまりの人の多さに

いつも人に酔った。

私は都会には向いていない。

就職して、何年か経ったら、

田舎に帰ろうと思っていた。

が、親と住むのもしたいわけではなく

結局、田舎には帰らなかったが。

まあ、今住んでいるとこも、都会じゃない。

 

こっちに来た時、 

服を、どこで買っていいかわからなくて、

友達と買い物に行って、

マルイで服を見たり

(私は田舎のユニーとかで買い物してたので)

銀座のデパートで服を見たりすると、

服って高いもんなんだなと、

驚いた記憶がある。

 

あの当時、

クレージュのバックとか、

レノマのバッグがすごく流行ってて、

みんな持っていた。

私も欲しかったたけど、

なんとなく買えずに、

田舎で買ってもらって持ってきた

レノマ似のバッグを持っていた。

でも作りはよかったよ。

 

あの当時、友達が持っていた

マリークレール(だったかな)

のセカンドバッグがとても素敵で

それを、清水の舞台から飛び降りる気持ちでかった。

なんか、ブランドのものを持つなんて、

悪いことをしている気になるというか、

私にはもったいない気がして。

まあ、可愛いブランド?だったが。

 

都会で映画を見るのもいつもドキドキした。

マリオンで映画を見た時は、

こんな贅沢をしていいのかと

いつも悪いことをしているような気分になった。

 

慣れないディスコにも友達に連れられていった。

その為に、それらしい服を買った。

(その服をその後、着たことはなかった気がする)

好きじゃないのに、

都会に来たらこういうことをしないとだめなんだと思っていた。

全然楽しいと思ってなかった。

 

就職してから、

神宮球場に通って、

プロ野球見てるときのほうがすごく落ち着いた。

なんで、私は、楽しくもないディスコに

無理していっていたんだろうと思った。

野球好きの友達と、

古田とか笘篠とか池山とか見てるほうが楽しかった。

 

若い頃って、したいことがなにかわからず、

対してやりたくないこともやっていたなと。

まあ、それも経験か。

それでやりたいことが分かったのか?

 

しかし、いつまで経っても、

田舎根性が抜けないので、

未だ、デパートとか行くより、

場末のマルエツとか行くほうが落ち着く〜(笑)

 

読んでいただいてありがとうございます。