発達凸凹息子との学習や生活あれこれ

小学校5年(高校1年になりました)の発達凸凹の子供とのかかわりで工夫したことや感じたことの記録。子供との関わりも含め。が、母親としてだけでなく、自分の好きなことをしようとか、自分で楽しかったな、面白かったなと日記のような、思うことも書いています。この頃そっちのほうが多いかも(笑)

学校帰り、田圃道でホタルが乱舞する中を友と歩いた

こんにちは ずんだです

ニュースを見て思い出した。このニュースを見たら、書かずにはいられなくなったのです。
https://weathernews.jp/s/topics/202404/100205/

私が子供の頃、ド田舎だったのもあるのか、
夏に庭に出ると、ホタルが普通に飛んでいた。手で、そっと捕まえて逃したりしていた。

学校の帰り道、部活で遅くなったときなど、ホタルが乱舞している田圃道(坂道だったので)を友達と自転車押しながら、話しながらぺちゃくちゃ帰った記憶がある。

友と行く ホタルの幽光 稲の凪 
ずんだ心の俳句 字余り

(↑最初の投稿した後直しました。でも、季語がダブってるのかな〜まあいい)

あれ、いつだったのだろう。7月から8月までホタルがいた記憶なんだよ。ホタルも前倒し?なのかな。

友達と夏休みは蛍狩りに行って、ホタルを狩っていた(昔だからできたことだな)記憶もあるので

いつだったのだろうか。
棚田を、一斉に、田植え機とかが入りやすいように整備したんだよね。田んぼが体育館ぐらいの大きさになり、機械も入り、間に大きい舗装されたみちが出来て、コメが作りやすくなった

でも、ホタルやメダカはいなくなった。

たしかに棚田はお米が作りにくかった。
見た目は風光明媚で、癒やされる光景なのだけど、機械は入らないから、手で田植えや稲刈り。
昔みたいに、一家で田植えとか、人手がいる時はいいけど、そうでないと大変。

天日干しするはぞ(という棒)も、家から担いで持っていっていた。私も子供ながらに、親と運んだことがあるけど。あれは重くて、あの作業が辛かったのは記憶している

ひよっこ見てた人はわかると思うが、稲をはぞまで運んでかけるのも、結構な重労働だった。子どもの時に腰が痛くなるという体験は、田植えや稲刈りだったな

今考えてみると、親子でごちゃごちゃ言いながらやるというのは楽しいことだったのなと思うけど。あの時代を体験できたのは、貴重で幸せなことだったのだな。と今になり思う。

あと、小学校の時、春と秋に一週間ぐらいお手伝い休みというのがあり、田植えや稲刈りのための休みで、その期間は、宿題もほとんど出す、家の手伝いをした。お手伝い休みのルールで、手伝いをしている友達を遊びに誘わないというルールがあった(プリントに書かれていた)

家の地域は、(暖房費を浮かせる意味もあったらしいが)春夏のお手伝い休みと、冬の寒中休みもあったので、夏休みが3週間弱だった。田舎ならではだったな。

高校になると、お手伝い休みがなくなり、夏休みが一ヶ月になり、すごく嬉しかった記憶がある。

 
どんどん話がずれた。

あの棚田のホタルが乱舞していた景色。私の頭の中では、今も鮮明。なんて、素敵で貴重な風景だったのだろう。あの頃はあまり気づいていなかったけど(意識していなかったというのが正しいのか)


読んでいただいて、ありがとうございます☺

 
読みに行っているが、またスターつけてないですが、また後で伺いますね〜。コメントの返信もします。スターやコメントいただいた方、読みに来てくださっている方、ありがとうございます😊