発達凸凹息子との学習や生活あれこれ

小学校5年(高校1年になりました)の発達凸凹の子供とのかかわりで工夫したことや感じたことの記録。子供との関わりも含め。が、母親としてだけでなく、自分の好きなことをしようとか、自分で楽しかったな、面白かったなと日記のような、思うことも書いています。この頃そっちのほうが多いかも(笑)

人の本の感想見て、読んでもないのに感想を書く

おはようございます。ずんだです

また、突然書きたくなる病、勃発!

ある方が

パーティーが終わって、中年が始まる
について感想、書かれていて(まだ序盤だそうですが)

読んでみたくて、図書館で予約しようとしたら、順位が結構先でした。(ちなみに、コメントに、その方の著書、知の整理術についても書かれていた方がいて、それも予約した(笑))
買ってしまうかもしれない💦わからないが

コメント書こうと思ったが、長いので。

中年になると、
存在感が増すというより、態度がデカくなるだけじゃないかに
なんか納得。まあ少し似てる?のか。
話ずれるというか、少し違うけど、
年取って丸くなる人もいるが、若いときの性格が強調される人もいるので、人によっても違うのか

で、
結局、子育てというのは一種の通過儀礼なのかもしれない。「老い」を体感し、それを徐々に受け入れていくための。
ちょっと違うかもしれないけど、子どものいない、独身、綺麗系、ちょっと年の上のおねーさんが、おばさんと呼ばれるのがすごい抵抗があるというのと似ているのかも(ズレてたらすみません)

人としての、通過儀礼って、なんか必要な気がするのですよね。
で、徐々にというとこがポイントかなと。いきなり老眼になったら困るじゃないですか(また、例が違うだろ!みたいな)

学校卒業して、就職する。
結婚する、子供を産む
その、一連の流れを通過する大切さというか。
なんか、一通りやってみて、得るものとか、精神的に成長する、受け入れられるというのもあるのかも。(もちろん、事情で何かすっ飛ばすことはあるけど、そこから学べる人もいる、というのは、何人か知っている人の中にいるから、この通過儀礼が、絶対ではないのはわかる。ただ、私のような凡人はこの流れを踏むほうが、体感しやすいというのはあるのかも。わたしも体感遅すぎでしたが💦)


で、
発達障害の人は、
精神年齢が低いから、
人生折り返してから楽しめるのか。

まさに「大器晩成」とは、発達障害民のための言葉なのではないだろうか。

というので。

そうならいいのだが(私の場合まだ、完全に受け入れられてないので。)

 
その方が、
80才×2/3=53.3才
と計算されていたが

ただ、体の成長、衰えはその年齢なので、
肉体年齢も保っておかないと楽しみたい時に楽しめないというのはあるのかも(ひろみゴーのように←例えが適切かはわからない)精神年齢若くても、認知症はそれと関係なくやってくるだろうしね〜


序盤だから、最後まで読んだら、また感想が変わるかもしれないですね。感想が楽しみです。

私も読んでないのに、勝手に読んだ気になり、その感想を書く💦すみません。でもこれ、すごく興味が湧いたので。私も早く読みたい。買うか!借りるまで持つか?

読んでいただいて、ありがとうございます☺